タイトル:自然人 2017 春 No.52 電子ブック【サンプル版】
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自然人 2017 春 No.52 を抜粋した電子ブックのサンプルです。
である。今も続く立山砂防事業は世界最大の砂防事業といわれる。宮砂防堰堤は、昭和12年に完成し、わが国最大の貯砂量で、国の登録有形文化財定された。土砂量を貯砂により調整し、下流域の河床上昇抑止を目的にした本をもって完成させた白しら岩いわ砂さ防ぼう堰えん堤ていは、砂防施設としてわが国初の重要文化財に指事業に着手し、大正末には国直轄事業となった。昭和14年(1939)に最新技術られた。上流部に大崩壊地を抱える常願寺川は、県が明治39年(1906)に砂防と捷しょ水うす路いろ工事及び左岸用水の合ごう口くち化、庄川と小矢部川河口分離と大事業が進めは治水であり、分県理由も治水にあった。神じん通づう川がわ馳はせ越こし線せん工こう事じ、常じょ願うが寺んじ川がわ河口分離とそれによる大洪水は近代化に大きな影響を与えた。明治期の最大の行政課題とであった。各河川は氾濫を繰り返し、特に安政5年(1858)の安政飛越地震文○布村徹なかでも、近代富山での最大の課題は、生活基盤や産業基盤を水害から守るこ遺産は今も多い。木、交通等の近代化近代化を遂げた富山域になり、産業、土本海側有数の工業地産業形態ができ、日治山治水砂防から富山では、農工一体の本の支援も大きい。TOYAMA教育機関の設立にも貢献し、近代化の象徴となった。そこには地元出身の巨大資な資本力は、近代化を進めた。それらは、鉄道、発電、紡績、金融などを盛んにし、業を支え、薬種商とともに売薬を繁栄させてきた。利水により生み出された大きまた恵まれた港湾は海運業を発達させ、大きな財をなした。薬くすりかっちゃ搗屋は成(製)薬離すことができない。気候は水稲に適し、高い営農技術により農業生産性は高く、水力発電が特化し、その量は全国一になった。富山では今なお治水と利水は切りく、水車が身近な動力源として諸産業を支えた。近代は、水禍をエネルギーにとし、水田単作に特化(水田率全国一)した。市街地でも勾配のある中小水路が多豊富な水量は水害を発生させる反面、肥沃な山土を客土し、農業用水をもたらされてきた資本力の2つといえる。富山は南東側に日本有数の多雨地帯を抱え、富山県の近代化を促進させた要因は、厳しいが豊かな自然と、藩政期から蓄積北陸道朝日町入善町北陸新幹線8小矢部市氷見市旧南部鋳造所キュポラ射水市富山市舟橋村滑川市魚津市黒部市黒部川電源開発と黒部専用鉄道五厘堤上市町富山県砺波市富岩運河・中島閘門桜橋南砺市井波物産展示館立山町南砺市庄川の水力発電関連遺産立山赤祖父円筒分水漕笹津橋常願寺川の医王山471鳶山砂防堰堤群と304旧県営発電所薬師岳白馬岳ぬのむらとおる富山県生まれ。富山市大山歴史民俗資料館嘱託。富山近代史研究会会員、富山県教育記念館専門員。現在、「県内旧集落営火葬場火葬炉の近代化について」や「富山県幼稚園教育史」、「大山のこんなすごいところ」を調査・研究中である。12